シューキャク・マンの集客日記

動物を介して地域に希望の光を与える支配人/2017.5月号月刊ツイン好評連載中

『月刊ツイン』2017年5月号表紙
シューキャク・マンのツインTalk vol.9
キーマンから学ぶ生き方、働き方
月刊ツインにて好評連載中!!
毎月、さまざまなジャンルのプロフェッショナルや社長をお迎えして
働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。
那須どうぶつ王国 総支配人 鈴木和也
那須どうぶつ王国
栃木県那須郡那須町大島1042-1
総支配人 鈴木和也

“地域に愛される動物園”を目指して

レッサーパンダやカピバラなどおなじみの動物から、猛禽類、爬虫類まで。多くの生き物が自然の姿のままに雄大な那須高原の懐で暮らす「那須どうぶつ王国」。動物とのふれあいや様々なアトラクションを楽しむことができる、那須の人気観光スポットだ。この春で開国20周年を迎え、新たなゾーン「熱帯の森」がオープンするなどますます施設の充実を見る同国の総支配人・鈴木和也さんは、屈託のない笑顔の奥に大きなエネルギーを秘めた人。その行動力や地域と人をつなぐ力、動物たちへの限りない愛情などは私自身、仕事を通して熟知しているつもりだ。

鈴木さんが那須の地へやってきたのは28年前。最初はスキー場「マウントジーンズ那須」、次いで「那須どうぶつ王国」の立ち上げに関わった。「当初から“地域に愛される動物園”を目指してきました。と言っても、最初は犬と猫と馬しかいなかったんですよ。その後、アルパカやレッサーパンダ、鳥類など少しずつ種類を増やし、動物たちによるパフォーマンスも導入するなど施設全体の拡充をはかってきました」。その一方で、メディアをはじめ、多方面との関係を構築するなど、精力的に活動を続け、2006年には総支配人に就任。その毎日はますます多忙を極めたが、努力の甲斐あって入場者は当初の2.5倍に達するなどその成果は現実のものとなっていった。

東日本大震災発生、そしてその後

このように順風満帆に見えた鈴木さんの仕事だが、状況を一変させてしまう出来事が起こる。2011年3月に発生し、多方面に甚大な被害をもたらした東日本大震災だ。「震災直後、お客さんはゼロに近い状態になりました。まさに青天の霹靂です。でも、動物たちはこの場所で生きている。自分としては、何が何でもその命を守っていかなければならなかった。そのためには何をするべきか、この王国や那須という地域と自分自身がどう向き合っていけばいいのかを考え続けました」と鈴木さん。動物たちを守りながら、客足を取り戻していかなければならないーー新たに大きな使命が課せられたが、そんな時だからこそ鈴木さんは迅速に行動する。まずは大きな被害を受けた東北の被災者に対し、入国料を無料にすることを決定。その結果、何と15万人もの来場があったという。「みんな動物たちによる癒しを求めてやって来たんでしょうね。その人たちからお金はいただかなかったけれど、多くの人が王国のファンになり、リピーターになってくれました」。その後、楽天イーグルスのスポンサーとして仙台の球場でワシを飛ばすパフォーマンス「イーグルフライト」に被災者を招待するなど、震災によって深い傷を負った人々に対し、動物を介して希望の光を与え、共に手を取り合って行こうというメッセージを伝え続けていった。鈴木さん自身、動物たちの姿を見て皆、笑顔になるのが本当に嬉しかったという。

那須どうぶつ王国 鈴木/シューキャク・マン代表浜畑

那須地域全体にさらなる光を

その後も鈴木さんのアグレッシブな行動はとどまることを知らない。那須の名物メニュー「那須の内弁当」協議会会長や那須ブラーゼンの発起人として広報アドバイザーを務めたり、メディア出演をしたりと地域を盛り上げ、多くの人に元気を与えるための活躍は多岐にわたる。今後は王国のみならず那須全体を展望し、さらなる光が当たるように尽力したいと語る鈴木さん。その目は何の気負いもなくただまっすぐと前を見つめ、眼差しに宿る未来への想いは確かに私にも届いた。

上質な住まいを創り続ける建築家/2017.4月号月刊ツイン好評連載中

『月刊ツイン』2017年4月号表紙
シューキャク・マンのツインTalk vol.8
キーマンから学ぶ生き方、働き方
月刊ツインにて好評連載中!!
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ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。
株式会社DIP建築都市設計事務所 代表 佐山利光
株式会社DIP建築都市設計事務所
栃木県宇都宮市富士見が丘4-31-23
代表 佐山利光

美しいアトリエから始まる自由闊達なデザイン

ある時は無駄を徹底的に削ぎ落としたミニマルな建物を、またある時は木質の温かさを存分に享受できる住まいを。建築家・佐山利光さんが創る空間は、施主の想いや時代の空気などによって自在に変化する。そしてそんな自由闊達なデザインは、宇都宮市の小高い丘からの眺望が素晴らしいロケーションのアトリエから日々生まれている。

佐山さんは現在、「DIP建築都市設計事務所」を主宰しているが、そもそも建築家を志したルーツは大工や材木屋が点在する地域に生まれ育ち、彼らの仕事に身近に接したことに始まっているという。「大工さんがカンナ掛けをしたり、板図と言ってベニヤ板に原寸図を書いたりするのが面白く、それが建築への興味につながっていったんですね」と佐山さん。以降は持ち前の好奇心と向上心を発揮しながら研鑽を重ねて2000年に独立し、故郷である宇都宮に自身の建築設計事務所を構えた。その後、住宅・店舗など様々な建造物の設計を受注し、建築家としてのキャリアを積み上げながら現在に至っているが、その丁寧な仕事ぶりには定評があり、県内外からの問い合わせや依頼が引きも切らない。

「住まう人が幸せになる家」を創るために欠かせない「アイデンティティ」

佐山さんの会社のWEB集客を担当させていただいて5年以上になり、個人的にも非常に尊敬している佐山さんだが、その魅力的な人柄を作り上げる要素の一つは人やモノ、コトに対するあくなき探究心とそれらに対する洞察力の深さであると思う。そして、それは佐山さんの建築に対する姿勢の根幹を為すものだ。「設計をする上で欠かせないのは私自身がクライアントのことを正しく把握すること。

ヒアリングで得た要望や情報の他にも言葉や仕草から立ち上る感性や人生の悲喜こもごもまでも受け止めた上で、設計作業に入ります。私が目指すのは"幸せになる家〟。その人のライフスタイルはもちろん、人間が持つ本能的な生活のリズムのようなものを住まいに落とし込みながら、そこで暮らすことによって幸福感が得られる家を創りたいですね」。そんな佐山さんが仕事を遂行する上でもっとも大事にしているのが"アイデンティティ〟だ。「アイデンティティとは自己性のこと。住まう人の個性を投影させ、建物が性格や感情を表すように形づくることで“その人らしい”家になると私は考えます。そのためにも建築家のエゴや型を捨て、常にそのアイデンティティやオリジナリティを追求することが大切です」と語る。

株式会社DIP建築都市設計事務所 佐山/シューキャク・マン代表浜畑

建築家の普段のライフスタイルがもたらす上質な仕事

現在、多忙を極める佐山さんだが仕事に対するストレスは?と問うと意外にそれはないという答えが返ってきた。「日々の出来事や目に触れるもの、感じるものすべてを自分の設計に反映することができます。情報収集も大好きですし、自分に起きていることが他にないものを創るソースになると思えば、ストレスは感じませんね」。では、プライベートにおける趣味は何だろうか。「実は趣味らしい趣味はないのですが、いわゆる“上質なもの”には非常に興味がありますね。なので、一流旅館に泊まったり、有名アーティストのライブに足を運んだり、美術館巡りやエキシビションを通して様々なアートやカルチャー、テクノロジーなどを見聞しながら、クォリティの高いものに触れる経験を重ねています」という佐山さん。すべての建物に漂う洗練された上質感は、普段のライフスタイルや建築・ものづくりへの飽くなき探究心・豊富な経験から生まれている。そしてそれは数多くの作品をクリエイトしてきた建築家・佐山利光の仕事の大きな価値でもあるのだ。

ものつくりの精神の継承に情熱を注ぐ教育者/2017.3月号月刊ツイン好評連載中

『月刊ツイン』2017年3月号表紙
シューキャク・マンのツインTalk vol.7
キーマンから学ぶ生き方、働き方
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ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。
宇都宮メディア・アーツ専門学校 校長 島田繁雄
宇都宮メディア・アーツ専門学校
宇都宮市中央1-10-12
校長 島田繁雄

工業機械とアート。そこにある〝ものつくり〟という共通項

宇都宮市のランドマークの一つでもある「大銀杏」。道路を挟んで木の反対側にあるガラス張りのビルが「宇都宮メディア・アーツ専門学校」だ。ここは昨年創立40周年を迎えた県内でも老舗の専門学校。美大受験のための予備校としてスタートし、今では放送・映像メディアやデザイン、建築、漫画などさまざまなジャンルの表現者を育成する学校として、クリエイターを目指す学生たちが集う。

この学校の校長を務める島田繁雄さんは、もともと県立工業高校の校長で、工業機械が専門というキャリアの持ち主。現職に就任してから4年になるという。「最初は専門外の分野の学校ということで、どうなることやらと思いましたが、工業もアートも“ものつくり”という部分では同じ。できるだけ授業に立ち会ったり、学生一人ひとりと話をしたりすることによって、徐々に理解が深まっていきました」と語る。

アート系の学生ならではの志向やスタイルを把握するのに多少の苦労はあったものの、かつての長い教員生活で培った学生への接し方、授業への取り組み方などが学生に受け入れられたことで、自信も深まったという。

一人ひとりに寄り添う指導が個々の進路を拓く

この学校の大きな特徴は、一人ひとりを大切にしつつきめ細かい指導を行うことで、その結果が高い就職率につながるということだ。中でも建築デザイン科における2級建築士の国家試験合格率は8割以上で、県内随一の実績を誇り、県内外の設計事務所や住宅メーカー、ハウスビルダーなどから毎年たくさんのオファーがあるという。「就職率は毎年90%を超えます。残りの10%はアーティストや作家志望の学生なので、それを合わせるとほぼ全員が卒業後の進路を決めているわけです」と島田さん。そんな実績の背景には教官が学生各々に合った対応をカスタマイズするという実に丁寧な指導があるようだ。「かつて専門学校といえば、大学に進学しない人が行く学校というイメージでしたが、今は違います。将来やりたいことや、卒業後の目標が明確に見えている人が多く、専門学校でなければ学べないものを求めて入学してきますね。学生一人ひとりはもともと潜在能力を持っており、それをいかに引き出すかが私たちの仕事です。入学当初は未知数でも少しずつその能力やスキルを高め、最終的には目標を達成する者がほとんどですね」。最近はきちんとゴール設定をしている若者が多いと聞くが、この学校の学生も然り、のようだ。それを後押しするのが、校長をはじめ、教官全員の熱意であり、指導力の高さなのだろう。

宇都宮メディア・アーツ専門学校 島田/シューキャク・マン代表浜畑

大切なのは40年間培ってきた〝ものつくり〟の精神の継承

このように学生の指導に情熱を注ぐ島田さんだが、オフはどのように過ごしているのかを問うと「実は前職を退いてからゴルフを始めましてこれがなかなか面白く、今では趣味といえるようになりました。季節によっては、スキーや山歩きも楽しんでいます。それから鉄道の旅も大好きですね」という答えが。かつて高校のサッカー部顧問だったというだけあって、ライフスタイルもアクティブだ。

そんな島田さんの今後のヴィジョンを聞いてみた。「本校が40年間学生たちを指導してきたその根底には“ものつくり”の精神があります。これからもそれを生かし、しっかり受け継いでいくことが本校の役割だと考えています」という言葉の通り、教育の多様性が問われる時代に、創造における学びのあり方を真摯にとらえる教育者の姿が、そこにはあった。

宇都宮でスポーツクラブを運営している社長/2017.2月号月刊ツイン好評連載中

『月刊ツイン』2017年2月号表紙
シューキャク・マンのツインTalk vol.6
キーマンから学ぶ生き方、働き方
月刊ツインにて好評連載中!!
毎月、さまざまなジャンルのプロフェッショナルや社長をお迎えして
働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。
株式会社ビッグツリー 代表取締役社長 里村佳行
株式会社ビッグツリー
宇都宮市桜5-2-5
代表取締役社長 里村佳行
<Data>
■出身地…北九州市 ■身長…164cm ■体重…57kg ■平均睡眠時間…5~6時間 ■平均起床時刻…7時 ■趣味…スポーツ観戦・映画鑑賞 ■今まで訪れた国…10ヵ国以上 ■好きな本…「田中角栄100の名言」宝島編集部編 ■家族…妻・長女・次女・長男 ■好きな場所…那須 ■好きな食べ物…寿司・刺身・日本酒 ■座右の銘…初心忘れるべからず・思い立ったが吉日 ■尊敬する人…孫正義 ■今日の財布の中身…20,000円

たった一人で起業したスポーツクラブ

浜畑御社の創業はいつでしょうか。

里村弊社は平成5年、スポーツクラブを運営する「株式会社ビッグツリー」としてここ宇都宮に誕生いたしました。当初、一緒に起業する仲間はおらず、旗揚げから1年近くは一人でやっていたんですよ。

浜畑たったお一人で、ですか。それはすごいですね。ところで社長はなぜ、スポーツクラブを作ろうと思ったのですか?

里村私はもともと、東京で長く広告代理店の仕事に従事していました。宇都宮にやって来たのは平成元年です。当時はバブル期で、ここ宇都宮でもマンションや賃貸オフィスビルが数多く建てられていたような時代です。すでに起業を考えていましたが、たとえばテナントビルを作ってその家賃収入を得るだけでは何か物足りない。そこでそもそも宇都宮とはどういう街なのか、どういったものが求められているのか、地元の新聞社やテレビ、ラジオ局などのマスコミにヒアリングをしたんです。そこから出てくる話を参考にしながら考えたのが、結局「何が人にとって大切なことなのか」ということ。そしてその答えが「健康」でした。

浜畑それがスポーツクラブという事業立ち上げのきっかけになったわけですね。

里村私は広告営業時代に、クレジットカード会社のDMや冊子の編集なども手掛けておりまして、当時東京・青山に1号店をオープンさせた「エグザス」に取材に行ったことがあります。それはそれはおしゃれでトレンドの先端を行くスポーツクラブでした。そんな状況を目の当たりにして、「健康増進や維持に貢献できるスポーツクラブ運営は、社会的にもとても良い事業だな」という感想を持ったのです。そして、実際に自分でそれを立ち上げる意志が固まった時点で、スポーツクラブ経営のためのノウハウを伝授していただくようお願いするために、「株式会社ピープル(ユナイテッドスポーツ エグザス)」の本社に出向き、当時の開発部長に「ぜひとも宇都宮でスポーツクラブをやりたい!」という熱い想いを訴えました。

浜畑先方の反応はいかがでしたか?

里村最初は疑心暗鬼でしたよ(笑)。ですが、「とにかく話だけでも聞いて欲しい」と懇願し続けた結果、宇都宮に来て予定地などの視察をしてもらうことになりました。

浜畑その熱意が相手の心を動かしたんですね。

里村その後、マーケティングリサーチを開始し、(株)ピープルとの折衝と並行して土地の譲渡・取得などを進め、晴れて同社とのフランチャイズ契約を締結することができました。

株式会社ビッグツリー里村/シューキャク・マン代表浜畑

人間力の高いスタッフが競争力に

浜畑この仕事をされる上で、何かご苦労はありましたか。

里村このようなスポーツジムを新しくスタートさせるとそれなりに注目され、会員さまは集まりますがそれをいかに維持していくかが大変ですね。スポーツジムでのトレーニングというものは単に「効果」だけでなく「楽しさ」も求められます。それにはマシンの性能や新しさもさることながら、会員さまとインストラクターをはじめとする従業員とのふれあいやコミュニケーションが非常に大切です。そのために気づきや気配りができるスタッフの養成が必須で、そういった人材の力が競争力に直結する。だからこそ、私は人間力やコミュニケーション能力の高いスタッフを揃えることに力を入れてきました。

浜畑里村社長にとって理想的なスポーツクラブ運営を続けていくための人材教育はどのようにされているのでしょうか。

里村スタッフ全員がステップアップを目指すための研修は常に実施しています。また、弊社には「はつらつとした笑顔」「元気なあいさつ」「やさしい心配り」という3つのモットーがありますが、その徹底もはかっています。私たち中堅のスポーツクラブが集まって「クォリティクラブネットワーク」という業界の団体を作っていますが、それぞれの支配人の合宿を宇都宮で実施した際には、私たちのクラブのもてなしの素晴らしさが評価されたりもしたんですよ。

浜畑こちらにうかがって私自身もスタッフの皆さんが3つのモットーを実践されているのを実感いたしました。

里村私はそのような人材力こそが当クラブの強みだと思っています。そしてそれは、スタッフ同士で意識し、築き上げているものなのです。

健康寿命の延伸で社会貢献を

浜畑会員数と平均年齢を教えてください。

里村会員は1万人以上で、平均年齢は約49歳ですね。最高齢は92歳の方がいらっしゃいます。最近では自身の健康に対する意識の高いシニア世代が増えていて、皆さんここで生き生きと体を動かしていますよ。

浜畑そうなると幅広い年代に対応するべく、スタッフの高いホスピタリティ能力がますます必要ですね。

里村はい。マシンは冷たく語りかけてはくれませんが、人は温かい。マシンとあらゆる世代の会員さまの間に「おもてなし」の気持ちを持つスタッフが介在してこそ、そのクラブは楽しく健康維持でき、なおかつ有意義なコミュニティとなるのです。

浜畑今後のヴィジョンをお聞かせください。

里村私はこの仕事を通じて健康寿命を延ばすことこそ、最大の社会貢献だと思っています。今後は小さなエリアに少しずつ店舗を展開させ、健康やスポーツの楽しさ、大切さを広めていきたいですね。

2017年 飛騨高山から新年のご挨拶です。

新年あけましておめでとうございます!!

シューキャク・マン久保田です。

 

 

 

 

新年初めのご挨拶は私の故郷の飛騨高山から
新年のご挨拶をさせていただきます。

 

 

 

 

2016年飛騨と言えば、大ヒット映画「君の名は」のモデルとして
映画のシーンに採用されて映画の公開後、若い女性の観光客から
今では外国人の方まで

通常であれば、通り過ぎてしまう田舎の駅にもかかわらず

多くの方が足を運んでいるそうです。

 

 

 

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<映画「君の名は」登場シーンのモデル地  JR飛騨古川駅>

 

 

 

高山駅の隣町の飛騨古川駅というところがそのモデルとなり
先日少し足を延ばしていってみました。
すると驚くことに31日の大みそかの日中にもかかわらず、
多くの観光客の方が記念撮影をしておりました。

 

 

 

 

普段は何の変哲もない駅が映画に取り上げられると
観光客の方に新しい「情緒的なベネフィット」を生み出している
ことを目の当たりにしました。
私自身、地元を離れてから初めて飛騨古川に足を運びました。

改めて行ってみると落ち着いて趣のある素敵な町でした。

 

 

 

 

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<飛騨古川の街>

 

 

 

 

 

さて、話は変わりますが
私事で恐縮ですが
母の実家に92歳になる祖母がおり、
久しぶりの実家ということで
挨拶に行ってまいりました。

 
そこで知らされたのが
生まれたころからよく遊びに行っていた
実家の家屋を家主が代替わりするため

今年の5月に取り壊して
新しい家を建てるとのことでした。

 
これだけ聞けば、普通の話ではあるのですが
母の実家は、古くからある旧家のため
祖母に聞いたところ家が建てられたのは
170年前とのことでした。

 

 

 

 

単純に計算すると170年前とは
1846年、江戸時代で「天保の改革」が行われていたころ。

ペリーが来航する少し前・・・

といってもピンときませんがとにかく古くからの歴史があり、
歴史博物館並みに貴重な建物なので壊してしまうのは非常に惜しいと思いました。
ただ、よくよく話を聞くと
建物は安価で別の方に譲り、
歴史資料館として移築されるとのことで
安心しました。

 

 

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小さなころからよく遊びに行った家のため
よく見納めをしてまいりました。

 

 

 

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一方、ところ変わって
飛騨高山駅、以前から改装工事をして
すっかり新しくすごく立派になっておりました。
こちらも旧高山駅舎は築80年の古い建物であり
新しくなってより観光客の来やすい
きれいな駅になっておりました。

 

 

 

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<JR高山駅>

 

 

 

高山の街は
古い伝統や建物などを大切にしながら
新しいものをどんどん取り入れる
姿が見られるので毎回帰るのが楽しみになります。

 

 

 

 

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<JR高山駅舎内より>

 

 

 

地元のさまざまなところが
良いかたちで生まれ変わるさまを見ながら、
宇都宮で行うWeb集客についても年々
変化をし続けていることを肌で感じております。

 

 

 

 

 

少し前までは、動画やコンテンツマーケティングが
宇都宮のような地方都市にはまだ早いという見方も
ありましたが、もうそのような話は一昔前、
どんどん変化をして、新たなやり方を取り入れながら

これまででよかったものは残し、結果が出なかったものは
切り捨てていくということを繰り返して、

 
クライアント様の目標達成を目指して
日々の活動に精進していかなければと、

思いを新たにした元旦でした。

 

 

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

月の半分は海外にいる田舎育ちのグローバル人/2017.1月号月刊ツイン好評連載中

『月刊ツイン』2017年1月号表紙
シューキャク・マンのツインTalk vol.5
キーマンから学ぶ生き方、働き方
月刊ツインにて好評連載中!!
毎月、さまざまなジャンルのプロフェッショナルや社長をお迎えして
働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。
株式会社 大日光・エンジニアリング 代表取締役 副社長 山口琢也
株式会社 大日光・エンジニアリング
日光市根室697-1
代表取締役 副社長 山口琢也
<Data>
■出身地…日光市 ■身長…173.6cm ■体重…68kg ■平均睡眠時間…6時間 ■平均起床時刻…5時30分 ■趣味…ゴルフ・読書 ■今まで訪れた国…20ヶ国 ■好きな本…「失敗の本質」戸部良一ほか5名の共著 ■家族…妻 ■好きな食べ物…オリーブ・生ハム ■座右の銘…我以外皆師也 ■好きな場所…朝のゴルフ場 ■尊敬する人…井深大・高田純次 ■今日の財布の中身…20,000円

顧客のニーズへの対応力が自慢

浜畑御社のプロフィールを教えてください。

山口当社は1979年に創業した会社で、電子実装基板の設計・製造を中心に、完成品の組み立て、カスタム電源ユニットの設計・製造、技術者派遣、システム開発など、電子機器関連の多岐にわたる業務を行っています。

浜畑ジャスダック上場もされているんですよね。現在、従業員の方は何名くらいですか?

山口正社員は260名ほどですが、派遣の方や請負いの方も合わせると大体600名くらいですね。その他海外工場のスタッフを含めると約3000名おります。

浜畑現在の社長でいらっしゃるお父さまが一代でここまで築き上げたんですよね。

山口はい。父は東京・浅草の生まれで、もともとは電子基板製造会社のエンジニアでした。たまたま栃木に転勤になりその後独立、そして当地でこの会社を創業したのです。

浜畑ところで、御社がこのように大きく発展した理由は何でしょうか?

山口クライアントである企業が海外展開をした時に、私どもがスピード感をもってそのニーズに合わせた事業展開を行うことができたのが大きかったですね。

私たちの業種はどちらかというと地味な分野です。また、事業規模的にもこの業界では特に大きい方ではありません。なので、対外的なアピールがなかなか難しい。それならば、ということで大きな規模で量をこなすよりも特定の技術に強い会社を目指しました。

浜畑多品種少量生産でクライアントのオーダーメイド的な要望に応えるということですね。

山口お客さまのニーズが多様化している中で、弊社はクライアントからの要求+αの対応をするための生産・管理の技術力において一定の評価をいただいていますが、その背景には「ものづくりを極める」姿勢があると自負しています。
たとえば、一見用途に関係しないような些細な点にも強いこだわりを持った設計と、ものづくりを徹底しているところがお客さまに評価されている部分だと考えます。

大日光・エンジニアリング山口/シューキャク・マン代表浜畑

野球少年からグローバル人へ

浜畑そのような取り組みが、日本のみならず世界を相手にしたときの競争力の高さになっているんですね。山口さんは現在、副社長という立場ですが、会社には新卒で入ったのですか?

山口いいえ。大学院卒業後、IT関連企業に就職し、3年ほど働いた後にこちらに戻りました。

浜畑まずは何を担当されたのですか?

山口2003年の入社後、すぐに香港のグループ会社に赴任し、2010年までの間、当時はまだ立ち上げ中だった海外工場設立のプロジェクトや新規顧客獲得のための営業活動を行ってきました。現在の仕事は海外法人の統括が中心です。タイ、香港、中国など月の半分は海外ですね。

浜畑幼い頃はどんな子どもでしたか?

山口地元の今市の山の中を駆け回る子でしたよ。それに野球少年でした。実は私には兄がいたのですが、私が中学3年の時に亡くなってしまい、その後は父の会社は自分が継ぐんだろうなと、ぼんやり思っていました。大学も親から特に言われたわけではありませんが、経営工学を選びましたしね。

浜畑学生時代はどんな生活を?

山口ひたすらバイトと飲み会の日々でしたね(笑)。親からの仕送りは基本的に学費だけだったので、生活費と飲み代を稼ぐのに必死でした。

浜畑大きな企業の2代目なのに?お父さまの方針ですか?

山口どちらかというと母ですね。テレホンアポインターやガードマン、居酒屋スタッフなどいろいろやりましたよ。でも今にして思えば、その経験が現在の仕事にとても役立っています。バイト時代に培った人間関係も財産ですしね。

最大ではなく最高を求めて

浜畑この仕事をしていて良かったと思うことを聞かせてください。

山口世界中の多くの方と出会う機会があることですね。あとはやはり、新しいジャンルのお客さまを開拓し、注文をいただけた時ですね。また、スタッフの協力による地道な営業活動が実を結び、参入が難しい自動車メーカーから仕事がいただけると連絡があった時は鳥肌が立つほど嬉しかったですね。

浜畑社長のお父さまからほめられたりしますか?

山口いまだにないです(笑)。でも私自身、自分がここで終わりではないと思っています。会社の技術レベルは確実に上がってきたというプライドもありますし、現状に甘んじることなくこれからもクライアントごとの要望にきめ細かく応えられるような企業でありたいですね。

浜畑会社のリーダーとして大切にしていることを教えてもらえますか?

山口自分の仕事に誇りを持つ職人気質の従業員が多いので、彼らの思いを汲みながら仕事の目標を明確にし、その達成のための仕組みを作り、気持ちを盛り上げることが私の仕事だと思っています。また、社員に幸せになってもらうための環境作りも大事ですね。私は彼らに「あの会社で働けて良かった」と思ってもらいたい。規模拡張や利益の追求、顧客満足度を高めることも重要ですが、従業員の満足度を上げていくのも企業としては必要です。競争の激しい業種ですが、戦いの舞台はグローバル、だけど会社はローカルという心をいつも持ちながら、栃木発の“グローカル企業”として、かつて本で読んだ「最大を求めるのではなく最高を求めよ」という言葉を実践していきたいですね。

日本人初のNHLプレーヤー/2016.12月号月刊ツイン好評連載中

シューキャク・マンのツインTalk vol.4
キーマンから学ぶ生き方、働き方
月刊ツインにて好評連載中!!
毎月、さまざまなジャンルのプロフェッショナルや社長をお迎えして
働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。

H.C.栃木日光アイスバックス
日光市相生町1-3-201
ゴールキーパー 福藤 豊 選手
<Data>
■出身地…北海道 ■身長…185cm ■体重…83kg ■平均睡眠時間…8時間 ■平均起床時刻…6時 ■趣味…ファッション ■今まで訪れた国…20ヶ国 ■好きな本…スポーツ選手のノンフィクション本 ■家族…妻・娘2人・息子1人 ■好きな食べ物…ステーキ ■座右の銘…Enough is not enough ■尊敬する人…三浦知良 ■今日の財布の中身…10,000円

アイスホッケーに没頭した日々

浜畑福藤選手はアイスバックスをはじめ、本場アメリカで日本人初のNHL プレーヤーとして国内外で活躍されていますが、アイスホッケーは何歳頃から始められたんですか?

福藤最初に始めたのは、小3の時ですね。

浜畑数あるスポーツの中で、なぜアイスホッケーを選ばれたのでしょう?

福藤北海道の釧路市出身なんですが、釧路はホッケーの町で、小さい頃からスケートに親しむ環境で育ちました。サッカーやバスケなど他のスポーツも一通り経験しましたが、特に夢中になったのがアイスホッケーだったんです。

浜畑小・中学生の福藤選手は、どのようなお子さんだったんですか?

福藤人見知りで落ち着きのない子どもでしたね(笑)。人一倍、負けず嫌いで、性格的にもアイスホッケーに向いていたのかなと思います。

浜畑ご両親からはどのような教育を受けられたんですか?

福藤うちの両親は、良い意味で放任主義でしたね。とにかく体を動かすことが好きだったんですが、「好きなことがあるなら一生懸命やりなさい」とだけ言ってくれて、あとは何も言われなかったので自分で物事を考えるクセがつきました。

浜畑ご両親は、アイスホッケーをやっていらっしゃったのですか。

福藤父も母も、アイスホッケーをやったことはないと思います。何でも好きにさせてくれていましたが、練習を休んだり、自分がやりたいと言ったことが中途半端になった時はキツく怒られましたね。

浜畑素晴らしい教育方針ですね。釧路の幼少時代に自立した人格形成がなされ、当時、誰も考えもしなかった海外でのプレーに繋がっているのですね。

厳しい海外生活で得た経験を糧に

浜畑福藤選手は、中学生で全国優勝し高校3年生で日本代表にも選ばれています。高校卒業後、アイスホッケーの名門であるコクドに入社され、2005年にはロサンゼルス・キングスと2 年契約を結び、世界最高峰NHL(ナショナルホッケーリーグ)のプレーヤーになるという快挙を成し遂げられています。アイスホッケーで挫折を経験されたことはなかったのでしょうか。

福藤高校生ぐらいからU-18や日本代表に選ばれるようになりましたが、それまでは挫折の連続でした(笑)。中学3年生の時に全国優勝しましたが、釧路では一度も選抜選手になったことはありませんでした。僕よりもうまいキーパーが他にいて注目を浴びることはなかったのです。地元の高校に進みたかったのですが、他の選手が推薦で決まっていて地元で行く高校がなく、釧路を出て、一人東北の高校で寮生活をしていました。高校卒業後、コクドに入った時も「こんなところでやっていけるのか」と思うぐらい、コクドの先輩たちがすごかった(笑)。でも、そこで何とか結果を出すことができ、高校卒業のルーキーとしては初めて10試合以上出ることができました。

浜畑コクドに入って2年目の時に、初めての海外生活、アメリカのシンシナティに行ったのですね。

福藤はい。19歳の時でしたが、この1年が一番大きな壁でした。英語も話せず、アジアの選手が何しに来た、という印象でチームメイトにも相手にされず、精神的に鍛えられました。あの頃があるから今の自分があるのだと思います。そして2010 年に海外から帰国し、アイスバックスに加入しました。

浜畑いろんなチームからスカウトがあったかと思いますが、アイスバックスに入団を決めたのはなぜですか?

福藤アイスホッケーは社会人チームが多い中、プロチームとして運営しているアイスバックスの成功が“日本のアイスホッケー界にどれだけ影響を与えるか” というところに大きな可能性と魅力を感じました。また、自分の海外経験を活かせるのではないかと思ったのです。

浜畑なるほど。プレーもさることながら、イベントでのファンサービスやスポンサーへの丁寧な対応など、福藤選手のプロフェッショナル意識の高さは素晴らしいものがあります。それはやはり厳しい海外生活を経験されてきたからでしょうか?

福藤自分たちのチームが存続できているのは、やはりファンの方たちが応援してくれているからなんです。いろんな方に支えられているという気持ちは常にあります。

次世代に技術を伝えていきたい

浜畑まだ先のお話ですが、引退後は指導者に、という夢は持っていらっしゃるんですか?

福藤最近考えるようになってきました。僕も良い指導者と出会ったことで、この2年間で知識も増えてきたんです。新しい技術の理論を聞く中で、従来の方法では間違っていた部分も多く、今まで感覚的に習得してきた技術が確かなものとして自分の中に入ってきたので“指導者としてやっていきたい” という気持ちが芽生えたのだと思います。栃木は、釧路での生活を除くと、これだけ長く居た場所は今までありませんでした。できれば将来、栃木の子どもたちに関わっていければと思っています。

浜畑お子さんにもアイスホッケーをやらせたいですか。

福藤2歳の息子は、もうスティックを持って遊んでいます。会場に連れて行くので、僕がアイスホッケーをやっていることが分かっているみたいです。息子がやりたいのであれば、全力で応援したいですね(笑)。

浜畑福藤選手にとってアイスホッケーとは?

福藤アイスホッケーは、僕の人生そのものです。生まれ変わってもアイスホッケーをやっていると思います。でも、今度はキーパーではなくて、FWをやりたいです(笑)。

23店舗経営の若き社長/2016.11月号月刊ツイン好評連載中

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働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。

株式会社 木村
宇都宮市南高砂町11-37
代表取締役社長 木村 圭一
<Data>
■出身地…宇都宮市 ■身長…169cm ■体重…62kg ■平均睡眠時間…7時間 ■平均起床時刻…5時30分 ■趣味…朝のランニング ■今まで訪れた国…9ヶ国 ■お勧め本…「孟嘗君」 宮城谷 昌光 著 ■家族…妻・娘3人・息子1人 ■好きな食べ物…そば・タコス ■座右の銘…人間万事塞翁が馬 ■尊敬する人…亡き父 木村好夫   ■今日の財布の中身…10,000円

創業65年の歩みと商品のこだわり

浜畑“木村のかきもち” といえば栃木を代表する銘菓ですが、創業何年を迎えられましたか?

木村創業65年になります。創業当時は卸売業のみでしたが、約35年前、父が周囲の反対を押し切り、最初の直売店“木村のかきもち” をオープンしました。その後、試行錯誤しながら独自のブランドを確立し、10 年前に私が3 代目の社長として会社を引き継いだタイミングで屋号を「下野乃国米菓處木村」に変更したのです。

浜畑会社を継がれる前は何をされていたんですか?

木村高校卒業後、カナダの大学に4年半ほど留学しました。帰国後、中小企業大学校で後継者コースを受講し、1999年に弊社に入社しました。

浜畑現在、「下野乃国米菓處木村」が22店舗、「村一番」が1店舗と数多くの店舗を経営されていますが、商品のこだわりはなんでしょうか?

木村弊社では木村のかきもちの代表商品となる国内産もち米を使った“かきもち・あられ” に特に力を入れています。材料は国内産もち米のほか、タレに愛知県産のしょう油、瀬戸内海産の青のりなど厳選した材料を使っています。製法ではもち米を練った後に行う“杵つき製法” というのですが実際に機械で餅つきをします。この製法を行っている会社はそんなにありません。また弊社は、仕上げに油で揚げるのではなく、表面に油をふりかけています。この特別製法により必要以上に油を使わず、少量の油で味をまろやかにでき、さっぱりとした飽きのこない味わいに出来上がります。これらの製法は手間がかかるのですが、弊社のこだわりです。

浜畑他社にはない製法で独自のオリジナル商品が生まれたんですね。

木村さらに新たな世代のお客様に来ていただくため3年ほど前から好きな写真や絵をおせんべいに印刷する「プリントせんべい」も始めました。

浜畑世界に一つのおせんべいが作れるんですね!プレゼントにも喜ばれそうです。

木村幅広い世代の方にご好評いただいてます。また本店敷地内でもんじゃ焼や鯛焼き、ソフトクリームなどの販売も行っており、そちらはすべて100円以内で購入できるんです。

浜畑100 円以内とは安いですね!

木村子どもが一人で来られるような親しみを感じられる場所をつくりたいという思いから、価格を設定しました。たくさんのお菓子がある中で、子どもたちにとってかきもちやおせんべいは身近な食べ物ではないかもしれません。でも「小さい頃に木村で遊んだ」という記憶はずっと心に残るのではないかと思ったんです。

浜畑小さい頃に馴染みのあった懐かしい場所は思い入れもありますし、大人になっても訪れたい場所になりますよね。私も実家が駄菓子屋だったのでその気持ちが分かります。

木村それにお金を使う感覚が身に付くので、社会勉強にもなります。そういう環境を地域に残せたらと考えています。

逆境をチャンスに変えていく

浜畑御社の社員の方々は、いつも気持ちよく挨拶してくださるのが印象的です。何か社員教育で力を入れていることはありますか?

木村一番心がけているのはやはり挨拶ですね。誰が訪問しても元気に挨拶してくださる得意先があるのですが、そういう会社は雰囲気もよく、業績も伸びています。特別な教育はありませんが私も役員も必ず自分から挨拶をします。お得意先やお客様であろうが、社員であろうが関係ありません。そうすることによって、社員のみんなも実践してくれるようになるんです。

浜畑社長になられてから10 年とのことですが、今まで大変だったことはありましたか?

木村世代交代に向けて営業・総務・売店・工場など各部門責任者の若返りを行いながら内部の組織を固め、環境を整えるのに10 年かかりました。

浜畑人を動かすということは摩擦も生まれるので相当大変だったのではないでしょうか?

木村そうですね。でも組織を成長させるには摩擦を恐れずに変化していくことが必ず必要です。私が社長になって社員と一つになれたきっかけは、東日本大震災を経験したことですね。計画停電で作業が進まない中、夜中に解除になったら社員のみんなが自主的に集まり作業をしてくれました。逆境の時期でしたが、社員との信頼関係の強化に繋がりました。

浜畑今までで一番嬉しかったことはありますか?

木村同じ方向を向いて切磋琢磨し合える良い仲間に出会えたことですね。社員一人ひとりが、家族のように大切な存在です。人に恵まれていることが、自分にとっての強運だと思います。

浜畑そういう方たちを吸い寄せられるのも、木村社長のお人柄があってこそなのでしょうね。

大切にしている信念や将来の展望

浜畑これからの10年、20年、どのような会社にしていきたいですか?

木村時代の変化に対応しながら、社会で必要とされ続ける会社にしていきたいです。プリントせんべいなどの商品を武器に新たなニーズを生むのはもちろん、会社の在り方として、“相手の利益を優先する” という考え方を大切にしていきたいです。会社を存続していく上で売り上げは必要ですが、社員、お客様、みんなの利益を最優先して、一番喜んでもらえる形をご提案していけるような会社に育てていきたいです。

浜畑その信条から、木村社長の生き方、働き方が伝わってきます。

木村人が喜ぶことが一番の喜びでありたいですね。社員みんながその気持ちを共有できる会社をつくれたらもっと幸せになれると思います。

浜畑素晴らしいです。それが長く愛されていく企業の在り方なのでしょうね。

木村また福祉施設と連携し、障害を持っている方々にもシール貼りや袋詰めなどの軽作業を行っていただき弊社での雇用も強化しています。地域に必要とされる会社を目指して、少しずつ社会貢献していきたいです。

プロアイスホッケー監督から社長へ転身/2016.10月号月刊ツイン好評連載中

シューキャク・マンのツインTalk vol.2
キーマンから学ぶ生き方、働き方
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毎月、さまざまなジャンルのプロフェッショナルや社長をお迎えして
働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。

株式会社アスリートスタンダード
東京都中央区八丁堀4-9-4
代表取締役社長 村井 忠寛
<Data>
■出身地…北海道 ■身長…170cm ■体重…70kg ■平均睡眠時間…6時間 ■平均起床時刻…6時 ■趣味…アイスホッケー ■今まで訪れた国…10ヶ国 ■お勧め本…「カリスマ体育教師の常勝教育」 原田 隆史 著 ■家族…妻・娘2人・息子1人 ■好きな食べ物…ブドウ■座右の銘…Think Globally,Act Locally ■尊敬する人…奥さん ■今日の財布の中身…20,000円

プロ選手から経営者への転身

浜畑村井さんはプロアイスホッケー選手として日光アイスバックスで活躍されていましたが、現役では何年プレーされていたんですか?

村井1998年に古河電工アイスホッケー部に入団しましたが翌年に廃部になり、翌シーズンに日光アイスバックスの立ち上げから入りました。選手として11年、その後に監督を4期、法人営業を2年務めました。

浜畑私が初めて村井さんとお会いしたのは、監督をされていた頃ですよね。

村井2010年ですね。フロントスタッフの事業統括本部長として浜畑さんが来てくださった日のことは今でも覚えています。非常に熱意を持ってチームを支えてくださり、営業スポンサー、ファンクラブ、チケット、飲食などそれぞれの事業で収益を生み出すシステムを作ってくれました。そうしてチームとスタッフが一丸となることで翌年のアジアリーグで3位、プレーオフで2位という好成績を残せました。

浜畑私にとっても印象深いシーズンでした。村井さんはプロ選手を経て監督、法人営業とさまざまな経験をされていますが、かなり稀有な経歴ですよね。

村井なかなかいないかもしれないですね(笑)。その経験を活かし、昨年会社を設立しました。“スポーツを通じてさまざまな人たちを豊かにする”という大きなテーマの下に、スポーツ教育事業、キャリア事業、スクール事業といった3つの事業を行っています。

浜畑キャリア事業ですが、スポーツ選手が引退した後、活躍できる人材に育てあげるには、どのようなことがポイントになりますか?

村井まず将来自分が目指したい姿と今の自分の状態を把握します。この2つが明確であれば、この間にあるギャップ、つまり現在の問題が分かるので今やるべきことが明確になるんです。

浜畑ゴールを決めて、そこから逆算して今やるべきことを考えていくんですね。

村井選手生活は一生ではないからこそ、その後どうしていくかという人生ストーリーを作り、やるべきことを明確にすることが大切です。

勝ち負け以上の価値をつくる

浜畑スポーツ教育では具体的にどういったお仕事をされているんですか?

村井教育事業では ユニクロや大手企業で研修を行い、“人の育成において現代教育の第一人者” と言われる原田隆史先生が独自に考案した「原田メソッド」を採用して栃木SCなどのプロチームの研修や、青山学院大学でアイスホッケーのコーチなど部活指導を行っています。分析シートの質問に答えることで、自分たちの感情面や考え方がすべてデータに出るんです。そのデータを基に、スポーツのパフォーマンスを上げながら教育指導も行っていきます。

浜畑感情や思考がすべてデータ上に表れるとは驚きです。

村井それを見れば今のチームの質が分かります。一部の学生が良好でも、ある学生は「自尊心がなく、チームメイトへの配慮も少ない」という結果が出てくるケースがあるので、監督はそのデータに基づき、誰が今どういう感情に陥っているのかをマネージメントに取り入れていきます。

浜畑研修前、研修後に変化はありますか?

村井今までは単純に「優勝したい」という目標だけだった子が、「優勝を目指し、チームメイトへの貢献を毎日徹底して行う」という他者への貢献の言葉が必ず出てくるようになります。そして我々が問いかけをすることで自分の目標が生まれ、具体的な行動に繋がります。

浜畑自ら考えて行動できるようになるんですね。

村井それが本来、彼らがそこにいる目的なんです。勝ち負けだけじゃない価値が部活動の中で生まれます。そして将来、それが社会でキャリアをつくるのに重要な要素になるんです。

強いメンタルの作り方

浜畑ここ一番の大勝負の時の気持ちの作り方や心掛けていることを教えてください。

村井選手時代から続けているのは、いい自分・悪い自分のどちらかに偏らないように常に自分の中の真ん中に立つようにしています。良い時の自分を目指すとダメな時に自分を全否定してしまいます。良い自分を目指すのではなくて、良い自分の時の50%でいいんです。真ん中に立つことを目指すことでプレッシャーから解放され結果的に安定し、ハイパフォーマンスにも繋がっていきます。良い状態を目指すのではなく、悪くならないように自分を律する。一旦、悪くなると、どんどん負のスパイラルに落ちていき、
回復するのに時間がかかりますからね。

浜畑確かにそうですね。それは仕事にも言えますね(笑)。

村井悪くなる時は心技体、生活でどういう状況で悪くなるのか?また、その時どんな気持ちになるか。良い時は心技体、生活でどのような状態なのか?また、その時どんな気持ちになるか。成功と失敗を分析し、改善策を準備しておくことが平常心・フラットな気持ち、つまり自分の真ん中を知ることができます。私は、夜寝る前に1 日起こったことを必ず日誌に書いて分析してから寝るようにしています。

浜畑毎日ですか!意志が強いですね。さすがです。最後になりますが、17 年間、日光で生活されたとのことですが、栃木について思うことはありますか?

村井東京に出てみて感じたのは、栃木には自然資源という価値がふんだんにあることですね。また文化の遺産もしっかり根付いています。外に出てみて初めて分かるのが、地方の魅力かもしれないですね。栃木の方々に恩返しできるよう経営者としてはまだ1 年生ですが、とにかく誠心誠意、誠実に日々精進していきたいです。

栃木県宇都宮でWeb集客と言えば、シューキャク・マン! 「Twitter広告」篇

こんにちは、シューキャク・マン久保田です。

本日、宇都宮は久しぶりに晴れ間が見えて

すがすがしい気分です。

 

 

スマートフォンの利用率が70%を越えたと言われる

スマホ時代のWeb集客では、リスティング広告は

掲載枠が限られているため、競争が激化しています。

 

 

ホームページからのお問合せや購入件数を増やす、

件数1件あたりの獲得コストを下げるためには

さまざまな広告を試みることが大切です。

 

 

前回は「Facebook広告」をご紹介させていただきましたが

今回は第2弾として「Twitter広告」についてご紹介したいと思います。

 

 

■増加率は世界トップ。日本は「Twitter大国」

 

 

少し古いデータで恐縮ですが、Twitterは、2015年12月時点で、

世界でのアクティブユーザー数は3億2000万人。

 

 

世界的には苦戦し横ばいと言われておりますが、

日本では、1カ月間にTwitterにログインした

月間アクティブユーザー数は3500万人。

全世界のうち、約1割が日本国内からのアクセスだった。

 

 

単純計算では、日本人のうち4人に1人が、

Twitterユーザーと言えます。

ツイッター日本法人が設立された2011年3月は

670万人であったことから、5.2倍の増加。

2015年12月時点で増加率では、日本が世界トップとなったそうです。

 

 

日本ほどTwitterが多種多様に扱われている国はないと

言われています。

例えば、宮崎駿監督の映画『天空の城ラピュタ』の

テレビ放映に合わせて「バルス」とツイートすることがはやったと思えば、

2015年9月の鬼怒川の洪水の際にはTwitterで救助を求めるといった

ライフラインのツールとしても活用されています。

 

 

Twitterの最もポピュラーで身近な活躍としては、電車の遅延情報。

ここ宇都宮でも天候や事故で電車が遅れるなんてことはよくあること。

その時、どこよりも早い情報として、

Twitterのツイート情報が検索されることは有名です。

 

 

■10~20代ターゲットメディアに困る宇都宮で活躍する「Twitter広告」

 

 

Twitterのユーザーの中心は10~20代が中心。

知りたいことを検索する場合、10代ではYahooやGoogleよりも

Twitterで検索する人も多いといわれております。

 

 

Twitterの年代別ユーザー属性

 

Twitterのユーザー属性

 

 

ここ、宇都宮のメディア事情について

少し触れさせていただくと、10代~20代の若者たちに

自社の商品やサービスを告知したいと考えたとき、

宇都宮の企業担当者は頭を悩ませます。

 

 

これまで、最もその世代のリーチを

獲得できる「テレビ」ですが、

宇都宮は、東京キー局の放送エリアのため、

「テレビ」を使おうとすると数千万円から数億円単位の

メディア予算が必要になってきます。

 

 

次に「新聞」。

そもそも10代、20代の購読者は少なく

当然、「新聞」に折込まれる「折込みチラシ」も同様です。

 

 

「雑誌」ですが、若者はスマホでの情報収集が主流になり、

お金を出してまで雑誌を購入することが少なくなったため、

廃刊もしくは多くの雑誌で発行部数を落としています。

 

 

「10代~20代にリーチしたいけど何か良い広告はないか」と

企業担当者からの悩みを耳にします。

 

 

そこで活躍するのが「Twitter広告」です。

 

 

宇都宮では、専門学校の生徒募集や

自動車販売会社が20代の若者をターゲットに

Twitter広告を活用され、

大きな成果をあげています。

 

 

また、人材不足に悩む地方では

10~20代をターゲットとした採用広告にも

Twitter広告を活用されています。

 

 

それでは、10~20代に強い「Twitter広告」を

もう少し詳しく見ていきましょう。

 

 

Twitterは匿名であることと、

140文字といった短い文章で投稿できることにより

リアルタイムで起こったことを気軽に投稿できるという

「拡散力とスピード」が

他メディアと比べると尋常ではありません。

 

 

拡散力を背景に「Twitter広告」は、

最初のクリックのみ課金対象で2次拡散以降は課金されないため、

拡散されればされるほどクリック単価が安くなっていき

安い広告費で広いリーチが期待できます。

 

 

Twitter広告の課金イメージ

 

 

次に、ターゲットを属性や興味関心で細かく絞り込むことができます。

 

 

「Twitter広告」は「年齢」や「性別」はもちろん、

「地域」、「デバイス」、「キーワード」

「興味関心」、「Wifi接続の有無」、などでも

ターゲットを選別することができます。

 

 

的確なターゲット項目を選ぶことで

狙った見込客に広告を出すことができます。

 

 

例えば、採用広告を大学生に向けて行いたい場合、

「Twitter広告」では、「年齢」、「地域」の

ターゲティングだけでなく、

「マイナビ」や「リクナビ」にTwitterフォローしている

ユーザー項目を選択することによって、

新卒で就職活動を積極的に行っているターゲットに対して

ピンポイントで広告を出すことができます。

 

 

「Twitter広告」や「Facebook広告」市場の競争は

まだそれほど激しくありません。

広告単価は低めでコストパフォーマンスが高い広告といえます。

スマホ時代のネット集客では、

SNS広告を積極的にチャレンジしていくことが大切といえるでしょう。

 

 

本日はこのあたりで失礼します。

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