キーマンから学ぶ生き方、働き方
毎月、さまざまなジャンルのプロフェッショナルや社長をお迎えして
働き方や生き方を誌面上でうかがっていきます。
ナビゲーターは、シューキャク・マン株式会社代表取締役の浜畑です。
日光市相生町1-3-201
ゴールキーパー 福藤 豊 選手
<Data>
■出身地…北海道 ■身長…185cm ■体重…83kg ■平均睡眠時間…8時間 ■平均起床時刻…6時 ■趣味…ファッション ■今まで訪れた国…20ヶ国 ■好きな本…スポーツ選手のノンフィクション本 ■家族…妻・娘2人・息子1人 ■好きな食べ物…ステーキ ■座右の銘…Enough is not enough ■尊敬する人…三浦知良 ■今日の財布の中身…10,000円
アイスホッケーに没頭した日々
浜畑福藤選手はアイスバックスをはじめ、本場アメリカで日本人初のNHL プレーヤーとして国内外で活躍されていますが、アイスホッケーは何歳頃から始められたんですか?
福藤最初に始めたのは、小3の時ですね。
浜畑数あるスポーツの中で、なぜアイスホッケーを選ばれたのでしょう?
福藤北海道の釧路市出身なんですが、釧路はホッケーの町で、小さい頃からスケートに親しむ環境で育ちました。サッカーやバスケなど他のスポーツも一通り経験しましたが、特に夢中になったのがアイスホッケーだったんです。
浜畑小・中学生の福藤選手は、どのようなお子さんだったんですか?
福藤人見知りで落ち着きのない子どもでしたね(笑)。人一倍、負けず嫌いで、性格的にもアイスホッケーに向いていたのかなと思います。
浜畑ご両親からはどのような教育を受けられたんですか?
福藤うちの両親は、良い意味で放任主義でしたね。とにかく体を動かすことが好きだったんですが、「好きなことがあるなら一生懸命やりなさい」とだけ言ってくれて、あとは何も言われなかったので自分で物事を考えるクセがつきました。
浜畑ご両親は、アイスホッケーをやっていらっしゃったのですか。
福藤父も母も、アイスホッケーをやったことはないと思います。何でも好きにさせてくれていましたが、練習を休んだり、自分がやりたいと言ったことが中途半端になった時はキツく怒られましたね。
浜畑素晴らしい教育方針ですね。釧路の幼少時代に自立した人格形成がなされ、当時、誰も考えもしなかった海外でのプレーに繋がっているのですね。
厳しい海外生活で得た経験を糧に
浜畑福藤選手は、中学生で全国優勝し高校3年生で日本代表にも選ばれています。高校卒業後、アイスホッケーの名門であるコクドに入社され、2005年にはロサンゼルス・キングスと2 年契約を結び、世界最高峰NHL(ナショナルホッケーリーグ)のプレーヤーになるという快挙を成し遂げられています。アイスホッケーで挫折を経験されたことはなかったのでしょうか。
福藤高校生ぐらいからU-18や日本代表に選ばれるようになりましたが、それまでは挫折の連続でした(笑)。中学3年生の時に全国優勝しましたが、釧路では一度も選抜選手になったことはありませんでした。僕よりもうまいキーパーが他にいて注目を浴びることはなかったのです。地元の高校に進みたかったのですが、他の選手が推薦で決まっていて地元で行く高校がなく、釧路を出て、一人東北の高校で寮生活をしていました。高校卒業後、コクドに入った時も「こんなところでやっていけるのか」と思うぐらい、コクドの先輩たちがすごかった(笑)。でも、そこで何とか結果を出すことができ、高校卒業のルーキーとしては初めて10試合以上出ることができました。
浜畑コクドに入って2年目の時に、初めての海外生活、アメリカのシンシナティに行ったのですね。
福藤はい。19歳の時でしたが、この1年が一番大きな壁でした。英語も話せず、アジアの選手が何しに来た、という印象でチームメイトにも相手にされず、精神的に鍛えられました。あの頃があるから今の自分があるのだと思います。そして2010 年に海外から帰国し、アイスバックスに加入しました。
浜畑いろんなチームからスカウトがあったかと思いますが、アイスバックスに入団を決めたのはなぜですか?
福藤アイスホッケーは社会人チームが多い中、プロチームとして運営しているアイスバックスの成功が“日本のアイスホッケー界にどれだけ影響を与えるか” というところに大きな可能性と魅力を感じました。また、自分の海外経験を活かせるのではないかと思ったのです。
浜畑なるほど。プレーもさることながら、イベントでのファンサービスやスポンサーへの丁寧な対応など、福藤選手のプロフェッショナル意識の高さは素晴らしいものがあります。それはやはり厳しい海外生活を経験されてきたからでしょうか?
福藤自分たちのチームが存続できているのは、やはりファンの方たちが応援してくれているからなんです。いろんな方に支えられているという気持ちは常にあります。
次世代に技術を伝えていきたい
浜畑まだ先のお話ですが、引退後は指導者に、という夢は持っていらっしゃるんですか?
福藤最近考えるようになってきました。僕も良い指導者と出会ったことで、この2年間で知識も増えてきたんです。新しい技術の理論を聞く中で、従来の方法では間違っていた部分も多く、今まで感覚的に習得してきた技術が確かなものとして自分の中に入ってきたので“指導者としてやっていきたい” という気持ちが芽生えたのだと思います。栃木は、釧路での生活を除くと、これだけ長く居た場所は今までありませんでした。できれば将来、栃木の子どもたちに関わっていければと思っています。
浜畑お子さんにもアイスホッケーをやらせたいですか。
福藤2歳の息子は、もうスティックを持って遊んでいます。会場に連れて行くので、僕がアイスホッケーをやっていることが分かっているみたいです。息子がやりたいのであれば、全力で応援したいですね(笑)。
浜畑福藤選手にとってアイスホッケーとは?
福藤アイスホッケーは、僕の人生そのものです。生まれ変わってもアイスホッケーをやっていると思います。でも、今度はキーパーではなくて、FWをやりたいです(笑)。